

「狂言」「茂山千五郎家」はたまた「お豆腐狂言」とは?
初めて来られた方は、是非知って頂きたい情報です。

狂言とは、室町時代に『能』とともに形成された滑稽な芝居です。『能』が悲劇的な歌舞劇なのに対し、『狂言』は喜劇的なセリフ劇です。“古典芸能”というだけで何となく難しい物だと誤解されがちですが、『狂言』は観て・笑って楽しむものなので、難解なものではありません。観客に緊張を与える『能』の間で、まるでサーカスの道化師のような役割を担ってきた芸能なのです。
また『狂言』が笑いの題材としているのは、生活の中の失敗談であったり、夫婦喧嘩を笑ってみたりと、現代でも変らないものが笑いのテーマになっています。昔から伝わる普遍的な笑いの芸能が『狂言』なのです。
室町時代の“新喜劇”ともいわれている『狂言』です。喰わず嫌いではなく、気軽に一度“御賞味”ください。

茂山千五郎家は江戸初期から、京都在住の狂言師の家として歴史に残っております。
初代から四代目までは、馬術指南を勤めていたといわれています。五代目から狂言師として記録が残っており、六代目から禁裏御用(御所に出入りを許されている。今でいう「宮内庁御用達」のような家)の能楽師として、京都・奈良を中心に狂言を上演した記録が各地に残っています。九代目の茂山千吾正乕が、時の大老・井伊直弼に見いだされ、彦根藩に抱えられます。その時、名を尋ねられ「千吾」と答えたのに大老が「千五郎」と聞き違いをなされ、その時より当主名が「千五郎」となりました。
現在も十三代目の当主・千五郎を中心として、400年にわたり京都に息づいてきた狂言の普及・継承に勤めています。

私達、茂山千五郎家では「お豆腐のような狂言師」という言葉が語り伝えられています。その言葉は、二世千作(十世千五郎正重)への悪口に由来しております。
その昔、狂言や能が一部の特別な階層の人々だけのもので、能舞台以外での上演などはいけないと考えていた時代に、二世千作は地蔵盆・結婚式・お祝いの会など色々なところに出向いては狂言を演じつづけ、仲間からどこにでも出て行く「お豆腐のような奴だ」といわれました。京都では常々おかずに困ったら「お豆腐にでもしとこか」などといいます。それと同じように「茂山の狂言はお豆腐や」と悪口を言われました。
しかし二世千作は「お豆腐で結構。それ自体高価でも上等でもないが、味つけによって高級な味にもなれば、庶民の味にもなる。お豆腐のようにどんな所でも喜んでいただける狂言を演じればよい。より美味しいお豆腐になることに努力すればよい。」と、悪口を逆手にとりました。それ以来、わたしたちは家訓としてこれを語り伝え、「余興に困ったら、茂山の狂言にでもしとこか」と、気軽に呼ばれることをむしろ私達は喜びたいと思っています。
いつの世も、どなたからも広く愛される、飽きのこない、そして味わい深い。そんな「お豆腐狂言」を、広めていきたいと考えております。
